れっぽんブログ

「渋谷ではたらく社長の告白」を読んで自分もできると思って代表と一緒に起業!→全く事業が当たらず、とはいえ投資家や顧客をはじめ多くの人を巻き込んだので、なんとか成果を出したいともがく日々を綴ります。

人の役に立たない日々から生まれる感情②

誰かの役に立ちたいというのは人の根源的な欲求だと思う。

そう思うに至った背景は2つある。

1つ目は、自分が現在進行形で人の役に立てない日々の辛さを実感しているからだ。

2つ目は、一風変わったデイサービス施設でのボランティア経験からだ。

今回は2つ目のデイサービス施設での経験について書く。

 

そのデイサービスの施設は主に認知症の方を対象としていた。

ただ、普通の施設と大きく違っていたのは認知症であっても働くことができるという点だ。

実際に自分が一緒にした仕事はチラシのポスティングだった。

距離としてはだいたい1km〜2kmぐらいで約1時間程度歩いて配る。

自分は約7-8名ぐらいの方と一緒にこのポスティングを行った。

ポスティングが終わった後の帰り道でいい運動になった〜と言っている方の声を聞いて、ふとこれは非常に理にかなっているなと思った。

例えば運動のために散歩にいきましょうと言っても、自分が気乗りしなければ行かないだろう。

でも、ポスティングにいきましょうといえば、自分が働くことで少なからず誰かの役に立つ。そして結果的に散歩に行ったのと同じくらい運動することもできる。

 

自分のためだけならやらないことも、人のためであればやれるということを目の当たりにした瞬間だった。人間にはいくつになっても、人の役に立ちたいという欲求があることをこの時の経験から実感できた。

 

余談だが別の高齢者施設で働いている方もこんなことを言っていた。

「ありがとう」と人に言う機会が多い人ほど弱っていくのが早い。その逆で「ありがとう」を言われる機会が多い人ほど生き生きする。だから、むやみにその人ができる作業や仕事を奪うようなことをしてはいけない。

 

自分もありがとうと言われるような仕事をする機会が全くないためネガティブな方向に弱っていってるんだろうなと思った。

ニートや体が弱くて働けない人も同じような気持ちなのかなと考える。

仕事をしなくて楽をしているように見えるかもしれないが心の中は自分のことを肯定しにくくきっと辛いことが多いのではないだろうか。

 

こんな経験をしたからかは分からないが、

いくつになっても誰もが誰かの役に立ち続ける世界を作れれば素敵だと思った。

人間万事、塞翁が馬。 

 

最後になるがもし仮に何の役に立たない人であったとしても、ただそこに存在してくれることこそが周りの人にとって価値があるものだということもある。

 

自分はそんな場面に遭遇したことはないが、共同創業者だっているだけで価値がある場合もある。例えば出資を受ける時なんかは代表1人だけなのか、ついてくる人がいるのかで出資の判断も変わるそうだ。実質的な面以外にも精神的なところでも誰かいることで負担が減ることもあるだろう(もちろん逆に負担が増えることもあり得る)